「喫煙者のせいで、年間4兆円のコストがかかっている」とか言うをTwitterで見ることがあります。
石田雅彦の記事なんかが貼ってあったりしますね。https://news.yahoo.co.jp/byline/ishidamasahiko/20170420-00070093
ツッコミどころが沢山あって短文では反論しかねるところなのですが、
さしあたって申し上げますと、データが古いです。
年間4兆円超のコスト、つまり「喫煙による経済損失は年間4兆3千億円以上」というのは、これを使った厚生労働省がすでに別の数字に置き換えてしまっている、古い数字なのですね。
国立がん研究センター・たばこリーフレット
https://ganjoho.jp/data/reg_stat/cancer_control/report/tabacoo_report2020/tabacoo_leaflet_2020.pdf
日本医師会・禁煙は愛
https://www.med.or.jp/forest/kinen/loveforthesociety/#firstContents
タバコの害を訴えるこうしたパンフレットでも、今では1兆8千億円ないしは2兆500億円となってます(注1)。
単純な話で、4兆円というのは2005年のデータを基に2010年に試算したもの、2兆円前後の方は2015年のデータに基づく試算だから、2兆円の方が現代的なのですね。
ちょっと考えてみれば、男性喫煙率が減り続けている現状では、新しいデータほど喫煙コストが小さくなるのが当然とも思えます。
(ただなんで同じデータから2500億円もの違いがでるのか、これについては後述です)
また「喫煙コスト○兆円 VSタバコ税2兆円」というのもおかしな話です。
というのは、タバコを売る→消費することで発生する「利益」というのは、なにもタバコ税だけではないからです。
片方が「喫煙により発生する経済的損失」なのであれば、もう一方は「喫煙により発生する経済的利益」でなければなりません。
かの『たばこ白書(2016改訂版)』にも書かれていることです。
ここでは1990年のデータ分析として、タバコによる経済貢献額の推計値を、タバコ税1.9兆円を含む年間2兆8,000億円としてあります。(ちなみに、21世紀に入って以来、タバコ税収が2兆円を下回ったのは2018年の1.98兆円のみ)。
これに対するタバコによるコスト=「経済損失の総額」として記載されていたのが、例の「4兆3千億円超」でした。
そして『たばこ白書・改訂版』が発表された、この2016年に開始された厚生労働科学研究費補助金研究で試算されたのが、およそ2兆円とされた2015年の数字なのです。
さてまた、喫煙者VS嫌煙者で「喫煙者は2兆円も税金を払ってる」「こっちは喫煙者の為に○兆円も払わされてる」というのも、正しくはありません。
これらの論文・報告書に言う「喫煙による経済的損失」の中には、喫煙者自身が負担する金額も含まれているからですね。
と露払いが終わったところで、喫煙コストの試算というものを実際に読んでみましょう。
『禁煙政策のありかたに関する研究〜喫煙によるコスト推計』
医療経済研究機構2010
https://www.ihep.jp/wp-content/uploads/current/report/study/26/h20-9.pdf
と
『受動喫煙防止のたばこ対策による経済面の効果評価とモデルの構築』
五十嵐中・2016
『たばこ規制の行動経済・医療経済学的評価に関する研究』
五十嵐中・2017/2018
2016https://mhlw-grants.niph.go.jp/system/files/2016/162031/201608009A_upload/201608009A0008.pdf
2017https://mhlw-grants.niph.go.jp/system/files/2017/172031/201709004A_upload/201709004A0006.pdf
2018https://mhlw-grants.niph.go.jp/system/files/2018/182031/201809001A_upload/201809001A0006.pdf
まずは両者の主要な金額を、表でご覧ください。
先に僕は「男性喫煙率が下がり続けているのだから、新しいデータほどコストが小さくなるのは当たり前だ」というようなことを言いましたが、こうして見比べてみると、それだけじゃないことが分かります。
喫煙率の低下が主要な原因なら、受動喫煙の超過医療費が増額しているのはおかしいですし、入院死亡による生産性の低下が2兆円から1600億円にまで、90%以上減額するなど、不自然極まりないことです。
「一体どうなってんだ?」とは思いますが、
まずは医療経済研究機構による2010年の報告を見てみましょう。
「4兆3千億円」のヤツで古い方のデータではありますが、2016~2018年の五十嵐中による試算もこの医療経済研究機構の手法を踏襲しているからです。
まずは基本から、ということです。
医療経済研究機構(平成22=2010年)の推計手法
① 超過医療費・超過介護費
推計手法としては、疫学的手法が使われています。
つまり、喫煙に関連する疾患と規定したものに係る医療費(介護費)に、その疾患に係る直接(ないしは受動)喫煙の寄与危険度を積算する方法です。
寄与危険度ARは、相対リスクRRと喫煙率pまたは受動喫煙暴露割合により算出されます。
能動喫煙なら、AR=p(RR-1)/(1+p(RR-1)) という計算。
注意すべきは対象年齢と、喫煙率の採用年=25年前に着目しているということです。
喫煙関連疾患の多くは喫煙開始から20〜30年のタイムラグがあるということから、喫煙率については25年前のものを採用。そして25年前に15歳以上であったことを条件とするため、超過費用計算の対象年齢は40歳以上と設定しているのです。
超過医療費の計算を図で表すと、こんな感じです。
そして重要なのが、「喫煙に関連する疾患」と規定されるものが何かということです。
なんで重要かと言うと、ここは時代により、また研究者の考えによって違いが出るところだからです。
あとで2016〜18年の五十嵐論文を考えるときに、重要になるのです。
そしてこの試算では、歯科医療費も超過医療費のなかに加えられていますが、これはちょっと計算方法が違います。そこの説明は省略しますが、上の超過医療費(能動喫煙)1兆6,249億円のうち1,750億円が歯科医療費です。
② 火災関連費用・清掃関連費用
火災の消防費用×たばこ原因火災件数の割合。
総ごみ処理費用×吸い殻が総ごみ排出量に占める割合
です。
ここでのポイントは、計算方法が疫学的ではなく、実測値による計算に近いということ。
にも関わらず「吸い殻が総ごみ排出量に占める割合」の算定が、「たばこ総販売重量の1/3が吸い殻になる」という仮説の元に行われているという事です。
この「仮説による数字」が疫学の計算にはついて回るものですが、仮説というものは覆されがちだという事です。あとでその実例が出てきます。
③ 生産性損失
これは「労働力損失」として表される項目です。
「一人1日(或いは1年)当たり国内純正産」×「タバコのせい」という計算になります。
ここで導入される新たな仮説が、「超過死亡」と「喫煙離席」という概念です。
まず「超過死亡」。
これは喫煙者の寿命が非喫煙者より短い(喫煙者の死亡リスクが高い)という考えに基づいていて、「喫煙による損失年数(喫煙者と非喫煙者の寿命の差)」が計算に使われます。
この考え自体が仮定ですが、「喫煙による損失年数」は、この段階で以前とは別の数字が使われました。
かつてはイギリスの疫学研究から数字を持ってきて、損失年数を「12年」として計算していたのですが、ここでは国内の疫学研究に基づく「4年」を損失年数として採用しています。
尚、『たばこ白書2016』ではこの損失年数に、新たな疫学研究から「10年」(本当は、男性8年、女性10年)を採用する、のですが、次の五十嵐試算において「超過死亡による生産性損失」は省かれました。
次に「喫煙離席」。
つまり「一服休憩時間の労働力損失」ですね。
これについては研究メンバーの中でも議論があったらしく報告書中にも様々述べられており、結果「参考値」として総額には含めない処置がとられました。
それでもその計算方法を紹介しておきますと、
「一喫煙者の離席時間×一雇用者当たり雇用者報酬×喫煙者数」であり、
「喫煙者の1日あたり離席時間」は「1本5分×1勤務日平均6.5本=33分」とされています。
実に大胆な仮説であって、その結果が「喫煙離席による生産性低下=1兆5604億円」となるのです。この話は、後に続きます。
五十嵐中 調査報告に見られる変更点(2016〜2018)
『受動喫煙防止のたばこ対策による経済面の効果評価とモデルの構築』2016
『たばこ規制の行動経済・医療経済学的評価に関する研究』2017/2018
五十嵐中准教授によるこれらの研究報告は、
中村正和を研究代表者とする厚生労働科学研究補助金研究事業『受動喫煙防止等のたばこ対策の推進に関する研究(平成28〜30年)』に含まれる分担報告のひとつです。
中村正和による統括報告書には、この研究の政治的目的が明確に記されています。
「本研究は、たばこ規制枠組み条約(FCTC)に照らして特に取組みが遅れている受動喫煙防止、広告・販売促進・後援の禁止、健康警告表示の3政策に重点をおき、政策化に役立つエビデンスの構築と実効性のある政策の提言を目的としている」https://mhlw-grants.niph.go.jp/system/files/2017/172031/201709004A_upload/201709004A0003.pdf
平成30年(2018)は『改正健康増進法(平成30年法律第78号)』が成立した年なのですね。
またこの研究のメンバーは、『たばこ白書 2016』の編集・執筆にも携わっています。
それはさておき、五十嵐中による当研究は、「2010年の医療経済研究機構の『喫煙コストの推計』の手法を踏襲」したものだと明言されています。
けれど上の表のとおり、最新のデータを活用し再計算をした結果、随分と結果が変わっているのです。 また当研究は3年間、1年ごとの報告書全てに分担研究報告を寄せているのですが、これもまた微妙な数値の変化を見せてくれます。
3年分、それぞれの試算結果を、表にして並べてみました。
計算方法について、もっとも大きな変更点は、
「喫煙に関連する疾患」の選択基準として、2016たばこ白書で規定された「タバコと疾患の因果関係レベル(1〜4)」を採用したこと、でしょう。
『たばこ白書 概要』16〜17ページ
https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10901000-Kenkoukyoku-Soumuka/0000172686.pdf
この因果関係レベル1「科学的証拠は、因果関係を推定するのに十分である」とされた疾患について、同表で示された相対リスクを使って、医療経済研究機構と同様の計算を行う。
その結果、2016年度報告では超過医療費の合計は1兆4902億円となり、医療経済研究機構の計算から6.5%(1028億円)減少しています。
※2016度報告では歯科医療費が含まれておらず、先の研究結果からもその分は差し引いて計算してある。
その翌年、今度は調査対象も2015年度となり、(a)ガンについては部位ごとに計算(b)男女別年齢階級別に計算(c)歯科医療費1016億円を追加、といった変更を加えた結果、2017年度報告で超過医療費の合計は1兆5389億円となり、医療経済研究機構の計算から13.0%(2292億円)減少となりました。
※金額的は増えたのに減少幅が大きくなったのは、それぞれの金額に歯科医療費を加えたからです。
面白いと思うのは、精緻に計算すればするほど、喫煙コストは下がっていくということです。
最初に僕は「喫煙率が下がり続けている状況で喫煙コストが減少していくのは当然だ」といい加減なことを申しましたが、もう一方の計算の要である国民医療費は増大し続けているという状況を考えれば、ことはまったく「当然」ではありません。
大ざっぱに試算してみると、
1980→1990年の喫煙人口の推移 :▲17%
2005→2015年の国民医療費の推移:+28%
大まかな比較では国民医療費の増大の方が、喫煙コスト計算に与える影響は大きいと考えられる。
つまり10年を隔てたこのデータの比較では、喫煙コストは新しい試算ほど増えることが自然である。
だからつまり、喫煙コストは下がっていくその理由は、喫煙率が下がったからではなく、精緻に計算したからではないかと、煙福亭は推察したのです。
これは実は2016年度報告に記載された「喫煙離席による労働力損失」でも、同じなのです。
2010年医療経済研究機構の試算では、「喫煙者の1日あたり離席時間」は研究者の想像で「1本5分×1勤務日平均6.5本=33分」とされ、総額で1兆5600億円となっていました。
しかし2016年度五十嵐試算では、より正確なデータを得るためにアンケート調査を行っています。
その結果、非喫煙者と比較した喫煙者の休憩時間増大は1.17%=1日約5分と推測されるようになり、この労働力損失は日本全体・1年分とすると5496億円。ほとんど3分の1にまで減額してしまう。
これを報告書では「控えめな推計」と呼んでいますが、客観的に見れば、これは逆です。
5496億円が「控えめ」なのではなく、1兆5600億円が「欲張り」な数字だったのです。
そしてこうも言えます。
調査をしてみれば分かる現実を想像による仮説で補った推計が、現実から大きく乖離したものであった。それはつまり、仮説を立てた思考に大きな問題もしくは欠損があったということです。
五十嵐は喫煙離席の数値の小ささについて「喫煙者が、他に休憩時間になしうることをある程度削って喫煙に充てていることを示唆する」と言っています。
しかしこれは、近年の管理された労働環境にあっては当たり前と考えられることです。頭の悪くない筈の研究者がここに思い至らないのは、彼の正常な思考を妨げる「認知の歪み」があったのではないかと思ってしまいます。その歪みがどのようなものかは、僕はあえて申し上げませんけれど。
結局のところ2017年度報告では、喫煙離席を含む「生産性損失」の項目がすべて除外されることになります。
これにより喫煙コスト総額はさらに減少するのですが、この事と「精緻な計算」とは、まったく別の話です。これは単に選択の問題であって、次に計算する時には足されるかも知れません(注2)。
実際問題2017年度報告では、超過医療費に歯科医療費が加えられた他、「超過介護費用」も追加されている。これは2010医療経済研究機構の報告書では、「データの限界」から参考値とされ総額に含まれなかった※ものなのに、ここでは特に説明もなく追加されているのです。
※「介護費は特定の疾病によってのみ発生するものではなく、身体機能の全般的な低下によっても発生するものであり、喫煙の有無によるコスト面における影響が医療費ほど直接的ではない可能性がある」
こうした足し引きの結果、2017年度報告では、喫煙コストの総額は1兆8094億円となり、ついに「タバコ税2兆円」を割り込んでしまいました。
そして2018年度の最終報告。これを見ると総額2兆500億円、なんとか2兆円を越える金額となったのです!
どうして同じデータを元に増額できたのか。それは、
「タバコと疾患の因果関係レベル」の2に関するコストを計算に加えたからです。
レベル1「科学的証拠は、因果関係を推定するのに十分である」と、
レベル2「科学的証拠は、因果関係を示唆しているが十分ではない」では、
計算の内容から考えて、山より高い壁があるように僕には思えるのですが、彼らはそれをやってのけました。
その結果、超過医療費合計は1兆6888億円となり、喫煙コスト総額はみごと2兆円を越え、2兆500億円となったわけです。(注3)
こうして3年分の試算の推移を見てくると、喫煙コストという数字、或いは「エビデンス」と呼ばれるものが、どれだけ可塑性に富んでいるかが分かります。
ここで計算された「喫煙コスト」或いは「超過医療費」とは、唯一絶対の検証結果なのではなく、仮説に基づく試算に過ぎず、またその目的に合わせて足したり引いたりが出来るということです。(注4)
これは完璧な検証を行うために必要なデータが全て出揃わない限り、仕方のないことではある。けれど問題なのは、データの不足を補うものが研究者ないしは依頼者の思惑であるということです(「喫煙離席」の話を思い出してください)。
疫学研究の結果、彼らはいつも「〜と分かった」「〜ことが判明した」と文章を結ぶのですが、その実「〜と結論できるように調整した」と言うべき疫学結果=エビデンスは存在するということです。
さて「喫煙コストの推計」で中心的な役割りを担うのは、「超過医療費」の計算でした。
ここでの疫学的手法に対する疑問点の代表的なものは、おそらくこれでしょう。
「喫煙者が禁煙すれば(或は非喫煙者は喫煙者よりも)寿命が伸びるとしても、長生きした結果として発生する他の病気の費用を、経済評価に含めるべきではないか」
医療経済研究機構の報告書では、この計算を「行なっていない」と述べてこう続けます。「よって、結果の解釈に当たっては、仮に喫煙者が全員非喫煙者であったとしても、この推計結果に示す医療費が全て削減されることを示しているわけではない点に留意する必要がある。」
一方で五十嵐中は「非関連費用※を組み込むべきではない」と主張し、別の報告書のなかで3つの理由を挙げています。※ここでは、喫煙と関連する病気以外の病気に関する費用、という意味
①海外の分析でも、非関連費用を組み込んだものは稀である。
②非関連費用(支出)を含めるならば、保険料収入などの収入を合わせ評価しなければ理的基盤が失われる。
③不確実性が大きくなり、本来分析すべき介入の費用や関連疾患の医療費が埋没してしまう恐れがある。
「シミュレーションモデルを用いたたばこ政策の罹患や医療費等へのインパクト予測 2020」
https://mhlw-grants.niph.go.jp/system/files/2019/192031/201909021A_upload/201909021A0009.pdf
これには例えば、こう答えられます。
①なんでも「海外」の真似してんじゃねーよ……と言いたいところですが、他の研究との比較可能性を担保するのも重要です。その意味では、条件を他と揃えることに意味がないとは申しません。
②まさにその通りなので、対応する収入を含めて非関連費用を計算に組み込めば、より正確な経済評価になると思います。が、これは③に続きます。
③これもまさにその通りで、問題に関係する、より多くの要素を計算に組み込むほどに不確実性は大きくなり、分析したかった内容はその中に埋没していく。②についても同じことが言えます。
けれどそれが現実そのものの姿であって、これが良いことか悪いことかは、見る者の立場次第です。
言ってしまえば、「喫煙による負の経済効果」をはっきり捉えたい立場にすれば、埋没するのは困る。ただし「喫煙による経済効果が占める量を経済全体のなかから捉えたい」と考える立場からは、それで埋没してしまうものなら埋没したって構わないわけです。
こうして①から③について考えてみると、タバコに関する疫学そのものの問題が浮かび上がります。
つまり、禁煙推進側の疫学研究が語るのは「タバコの害はすでに明らかなのだから、もはやそこを問う段階ではない。その次の段階、害悪の内容を精査することが研究の目的である」ということであって、しかし喫煙者(或いは医学的・疫学的な素人)は、正にそうしてつくられた研究結果を見ることで「タバコは害悪と知る」のだということです。
タバコの害が明らかであって、ただその程度を測るためであれば、そこで計算される数字は容易に他と比較できるものである方が望ましく(①)、計算を徒らに複雑化するのは避けるべきであり(②)、見るべきテーマ(タバコの害の程度)を埋没させるような現実性は不要である(③)ということになる。
ただしその前提を共有しない者は、研究成果に疑問を抱くか、或は、研究成果を見て前提とされているところを鵜呑みにする、という状態に陥るのです。というか、陥れられるのです。
気を付けたいのは、
その前提とは、「タバコは害である」ということではなく、「タバコの害は明らかなのだから、タバコの害だけを独立して測れるという仮定のもとに計算してよい」だということです。
逆に言えばそれらの疫学研究は「タバコの害は明らかなのだからタバコの害だけを独立して測れるという仮定のもとに計算してよい」という前提に立った上でなければ成立しない(注7)とも、言えるのです。
けれど人間やA Iがラプラスの悪魔になれない以上、どれだけ誠実に計算を積み上げたところで、疫学的手法では思惑や前提抜きの真実に辿り着けないということになってしまいます。
じゃあ結局のところ、真実の数字はいつまでも分からないモノなのか?
文系人間の煙福亭としては「そりゃそうだ」で済ましたいところなのですが、ここでもう一つ、「喫煙のコスト」について別の研究を見てみたいと思います。
こっちも立派な厚生労働科学研究補助金研究、2007年の高橋裕子による研究報告です。
『喫煙と禁煙の経済影響に関する研究』
https://research-er.jp/projects/view/129086
「喫煙者と非喫煙者の直接医療費の研究」高橋裕子 2007
https://untobaccocontrol.org/impldb/wp-content/uploads/reports/Japan_reference_5.pdf
この研究が他と一味違うのは、これが疫学的手法とは別の方法で、「実測値といえる(報告書より)」数字を摘出しているところです。
具体的には、宮城県国民健康保険42821人・11年間のレセプトデータを元にした試算となります。※レセプト=診療報酬明細書
結果、喫煙習慣と関連する超過医療費の割合は「男性8.3%、女性1.1%」と算出され、これを医療経済研究機構と同じ2005年の国民医療費に当てはめて、超過医療費1兆3211億円と推定しています。(注5)
高橋は「考察」のなかで、疫学的手法を用いた試算では各研究間で時に2倍以上の差が生じることに触れて「この差は疫学データの積算をおこなう際のさまざまな条件設定により生じるものであり」「避け難い事象である」と言う。
これに対し、自己の「レセプト調査から喫煙者の医療の超過需要推定額を計測する方法」は「実測値といえる」として、「疫学データからの推定による試算とは意味合いが異なる」としています。
これは確かに、その通りでしょう。
この方法なら、上の疫学的手法をとった場合に不可欠の問題だったタバコ関連疾患の選択に悩むことはありません。
喫煙者が銃で撃たれてもAIDSに罹ろうと、ここには集計されている筈で、また、相対リスクのように不確かな数字が計算に入り込む余地もない。
それ故の「実測値」と言えます。
なので僕はここでの「2005年度超過医療費推計1兆3211億円」を尊重しています。(注8)
……とは言っても、ここから15年経った2020年のデータに当てはめられるとは考えていませんが。
またこの報告書で面白いのは、先行研究の概要がおまけに紹介されているところです。
これらの研究では往々にして、現在喫煙者の医療費が非喫煙者よりも低くなってしまい、にも関わらず「喫煙者は病気にはなりやすいが、病気になってもあまり医療機関に行かないので」とか「健康が維持されている間は喫煙を続けるから」だとか、データや計算とはまったく関係のない想像が主張されているのが趣深いです。
高橋は「これらの先行研究を詳細に読めば、喫煙が医療費削減に寄与するとはどの研究においても記載されていない」と言いますが、それは単にそう言いたくなかっただけなんだと分かる文章です。
高橋は自らの方法論により「喫煙者は生涯非喫煙者より医療費が安い可能性があるとの情報は明確に否定された」と誇らしげに書いていますが、これは先行研究における苦い歴史があったためなのだと理解できます。
しかしその高橋裕子が、3年後に彼らと同じような、奥歯にものが挟まった物言いをするはめに陥るとは……。
『喫煙が生涯医療費に及ぼす影響に関する研究』2007〜2010
https://mhlw-grants.niph.go.jp/project/16071
2007年から始まる新たな厚生労働科学研究補助金研究(注6)『生活習慣・健診結果が生涯医療費に及ぼす影響に関する研究』において、同じコホートデータから高橋裕子は、さらに本質的な問題に取り組みます。
「喫煙・肥満などの生活習慣は、疾病リスクを高めることにより医療費を増加させる。しかしここにおける『医療費』とは一定期間(1年、など)の医療費であって、生涯医療費ではない。例えば喫煙者の期間医療費は非喫煙者より高いとしても、喫煙者は短命である分だけ生涯医療費はむしろ減るのではないかといった議論がある。つまり予防の重視により一時的に医療費が適正化したとしても、(生存期間が延びるために)長期的には医療費が増加するのではないか(煙福亭要約)」
ざっくり言えば、「喫煙者は早死になんだから、その分生涯医療費は、安く済むんじゃないの?」ということです。
結果、
2009年に出された報告書では「生涯医療費を算出したところ、喫煙者が約600万円、非喫煙者は約621万円と喫煙者の方が3〜4%程低い結果となった」となります。https://mhlw-grants.niph.go.jp/system/files/2008/081011/200801026A/200801026A0001.pdf
「喫煙者の方が非喫煙者よりも、生涯医療費が低い」です。
大変なことになりました。
高橋は「結論」で「非喫煙者が喫煙者より生涯医療費はわずかに高く平均寿命は長かった」と述べます。
「わずかに」という余計な一言が涙を誘います。
翌年に出された最終報告書で高橋は、この差が統計学的に有意と言えるかどうかを研究し、「割引率3%を用いた場合には、統計的に有意でない」という結果を得ることになります。※割引率とは、ざっくり言えば利息に近いお話で、医療経済統計では割引率3%を使うことが今のところ一般的なのです。
そして「結論」は、こうなります。
「割引率3%を用いると、喫煙者と非喫煙者の間で生涯医療費に統計的な有意さはなく、喫煙者と非喫煙者の間で、生涯医療費に差があるとは言えなかった。ただし、割引率なしでは統計的に有意であり、生涯医療費の差の有無に関する解釈には慎重を有すると考えられる。一方、平均余命に関しては、統計的に明らかに有意であり、喫煙者の方が非喫煙者より短命であった」
https://mhlw-grants.niph.go.jp/system/files/2009/091011/200901013A/200901013A0001.pdf
つまり高橋としては(と言うか禁煙推進派は皆んな)「喫煙者は短命で、そのくせ生涯医療費は高くつく」という結果を望んでいたのですね。
要するに「喫煙は、喫煙者本人にとって不利益であり、おまけに社会にも迷惑をかける」と、本当なら言いたかったのです。
まあ確かに「喫煙者は短命で、その分、生涯医療費は安く済む」というのは、喫煙者の僕にとって望むところの結果ではありますので、嫌煙家の皆さまにはお気の毒さまなことです。
(注1)
ちなみに東京都医師会のパンフレット『タバコQ&A』には、今でも「経済損失は年間4.3兆円」と書かれてます(2019年・改訂第2版)。
東京都医師会・タバコQ&A
https://www.tokyo.med.or.jp/smoking-question-answer
データが古い。
けれどこのパンフレットをつくった面々を見ると、仕方がない事なのかも知れません。
奥付にある「村松弘康委員長」は日本禁煙学会の理事ですし、アドバイザーである望月友美子も同じく理事で、もう一人のアドバイザー作田学は、理事長だからです。
(注2)
ここで「生産性損失」がすべて除外された理由ですが、僕はこの同じ時期に厚生労働省が課題としていた「医薬品,医療機器の新規収載品に対する費用対効果評価制度」についての議論が影響していたのではないかと考えています。
https://www.igaku-shoin.co.jp/paper/archive/y2020/PA03370_01
2016年の試行期間から2018年にこれを本格導入することを目指して、議論が進められていたものです(結果2019年にずれ込みました)。
指標としてのQALYの検討や、生産性損失を含めるか否かについても議論されており、そのような時に、タバコなんかの話であるとは言え、生産性損失の問題を、好き勝手に扱うわけにはいかなかった……というような事情が関係していた可能性が考えられます。
この議論は現在も続いていて、その影響で今後はタバコのコスト試算にも生産性損失を含める、としても不思議ではないです。
https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi2/0000182080_00011.html
(とか言って煙福亭は、数字だけじゃなく政治にも疎いので、その辺は詳しい人が考察して下さると有り難いです)
本文中に組み込めなかった重要な話をどさくさ紛れで(注)のなかに組み込みますが、タバコのコスト推計というものは、禁煙学者がなんでも好き勝手に出来るものではありません。「医療経済評価研究」というものがちゃんとあるからですが、タバコのコスト推計は今のところ、この水準に届いていないんじゃないかと思われます。
医療経済評価研究における分析手法に関するガイドライン
https://www.niph.go.jp/journal/data/62-6/201362060008.pdf
(注3)
本文での伏線を(注)で回収いたします。
どうして2つのパンフレット(国立がん研究センターと日本医師会)で喫煙コストの金額が違うのか。
それは前者が2017年度報告、後者が2018年度最終報告から数値を引用しているからですね。
国立がん研究センターには2018年度報告が届かなかったのか、或いは2017年度報告が正しいと判断したのか、煙福亭には分かりません。
(注4)
僕はここであえて「目的に合わせ」と書きました。何故そう言い得るか、それはこの研究の目的がこう言明されているからです。
「政策化に役立つエビデンスの構築と実効性のある政策の提言を目的としている(上掲)」
ここに報告されているのは、「政策目的」のエビデンスなんですよ。
(注5)
「男性8.3%〜」には上のARと同じく喫煙率が計算に含められているので、他の年度に当てはめる訳にはいきません。また当時と今とでは状況に違いがあります。国民医療費総額は2019年度44兆3895億円で2005年度の134%、一方の喫煙率は1980年度と1995年度の比較で84%。この食い違いを解消するためには、新しい調査が必要になることと思います。
(注6)
「厚生労働科学研究補助金研究」という長ったらしい文句が頻出することにウンザリしてる方もおられると思います。
僕がこの文句で示したいのは、この記事では全て禁煙推進側の言い分を元にして議論を進めていることと、
もう一つは、「タバコの悪口を言う研究はカネになる」ということです。
例えばこの記事の主役である『受動喫煙防止等のたばこ対策の推進に関する研究(平成28〜30年)』には、税金から3,790万円が出されています。
https://research-er.jp/projects/view/998457
(注7)(注8)
すいません。話が長くなるので、2つの注釈については別稿にて。
https://smokepeace.net/notes-to-smoking-cost-benefit/
そして、劇場公開だよおめでとう!の気持ちを込めております。
https://eiga.com/news/20220208/14/
コメント
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