化学物質過敏症の新展開

最近(2024.3.19)化学物質過敏症についての記事がDIAMOND onlineに載りました。

香害・化学物質過敏症の闇、医師が「不治の病ではない」と訴えるワケ…「80%は精神疾患との合併症」の報告も
柔軟剤や制汗剤などに含まれる香料が原因で、頭痛や目まい、吐き気などの体調不良を訴える「化学物質過敏症」に苦しむ人が増えてきているといわれる。「香害」という言葉とともに語られることが多い症状で、患者だけでなく医療関係者でも治療を諦める人が多いという。しかし、自身も患者だった医師は「化学物質過敏症は治る病気であるにもかかわ...

まだ確定していない「化学物質過敏症の治療法」を探す、という方法ではなく、すでに確立した他疾患の治療法で化学物質過敏症(を訴える患者)の症状が治療できる、というのは朗報だと思います。

けど僕にとって特に新鮮だったのは、取材を受けた船越典子医師が化学物質過敏症について「一つの病名ではなく、あくまでも症状である」という見解を示していることです。

船越医師がこの見解を得られたのは、平久美子医師と共同で行なった臨床研究によるものなのでしょう。藤井敦子氏によるnoteの記事が、この研究を紹介しています。

239、平久美子医師と舩越典子医師が「精神疾患」を含む病因を発表|横浜・副流煙裁判・冤罪事件における裁判資料及び未公開記録の公開~事件をジャーナリズムの土俵にのせる~
2023年(令和5年)12月16日に厚生労働科学研究費補助金 難治性疾患政策研究事業「種々の症状を呈する難治性疾患における中枢神経感作の役割解明とQOL向上、社会啓発を目指した領域統合多施設共同疫学研究」班における班会議が行われた。下記に示したスライドは、化学物質過敏症を「治る病」としてその治療に取り組んでこられた平久...

ここで紹介されているのは厚労省研究事業の会議に使われた、船越医師と平久美子医師によるスライドです。スライドしか見ることが出来ないので詳細は不明ですが、両医師による合計111名の臨床報告(DIAMOND記事に書かれていた治療法による)と、そこからの提言であるようです。

また藤井氏のnoteは平医師の別の臨床報告も紹介しています。

231、化学物質過敏症「治らない病気」から「改善が期待できる病気」へ~2017年6月日本臨床環境医学会平久美子先生.pdf|横浜・副流煙裁判・冤罪事件における裁判資料及び未公開記録の公開~事件をジャーナリズムの土俵にのせる~
舩越典子氏は、自らの化学物質過敏症の症状を平久美子医師により改善させてもらった経験を持つ。下記は、御自身により「治らない病気」から「改善が期待できる病気」へと名付けられた2017年6月に日本臨床環境医学会にて行われた平久美子医師による発表内容である。 年6月日本臨床環境医学会平久美子先生.pdf 日付を見て欲しい...

ただこれらには「化学物質過敏症とは、ひとつの病名ではなくあくまでも症状である」という見解そのものはありません。この見解自体は船越医師のオリジナルかも知れない。けれどスライドに示された臨床研究と、関係した平医師をはじめとする他の医師(或いは研究者)との議論からこの見解が生まれたものとは考えられるんじゃないでしょうか。

という訳で、「化学物質過敏症とは、一つの病名ではなく、あくまでも症状である」という見解が、化学物質過敏症の研究にどういう意味をもつのか、という話です。

まず一般的に化学物質過敏症とはなにか?

現在一般的なのは、1987年にCullenさんが提唱した下の定義です。

過去に大量の化学物質に一度に曝露された後、または長期間慢性的に化学物質の暴露を受けた後、非常に微量の化学物質に再接触した後に見られる不快な臨床症状

平たく言えば「普通じゃなんともない筈の微量な化学物質に晒されても症状が出てしまう人がいる。その原因は、過去に化学物質に(大量あるいは長期に)晒されたことで、どうしたことか患者のどこかが傷められたからだ」ということです。
しかもこの患者は病気の進行とともに、原因となったもの以外の、さまざまな化学物質(しかも極微量な)から症状が出てしまうようになる、というのです。

もちろん医師や学者としては「どうしたことか」「どこかが」なんて適当なことでは済まないので、明らかにしようとする。けれどよく分からない。色んな説はあるけれど、統一はされていない、というのが現状です。

なので一般に「化学物質過敏症」と言われるものは、MCS (多種化学物質過敏症) CI(化学物質不寛容状態) IEI(本態勢環境不寛容状態)、CS(化学物質過敏症)その他と、色々に別れているのです。
なかでIEIは定義自体がCullenのもの(MCS)に懐疑的ではありますが、こと研究においてMCSとIEIの片方を除外して調査・考察するものはほとんどありません。
他に化学物質過敏症と関連して語られるのがシックハウス症候群、また最近ではE H S(電磁波過敏症)やCSS(中枢性感作症候群)との関係も議論されています。

つまり「化学物質過敏症」とは、今日でもなお、正体が不明というか曖昧模糊とした疾患概念ではあるのです。ランドルフさんが1950年頃に提唱してから70年以上経つのに、未だその疾患概念すら確定しないのは、何故なのか。

まずは「過去の化学物質暴露が、患者を非常に微量の化学物質によっても発症する体質に変えてしまう、その機序(発症メカニズム)とはなにか?」に答えることが難しいからです。

当初は「有害な化学物質が体内に蓄積されてのちに症状を引き起こす」という仮定がありました。けれど後の研究によりこの「蓄積→発症」が否定されていきます(ただし現在でも似た見解を主張する人はいます)。加えて、中毒やアレルギーといった概念では説明がつかない患者が多数いることから、これらの機序も否定あるいは疑問視されることになります。

特に難しいのは、症状を引き起こす化学物質の毒性と、患者の反応の様態や症状の重度が一致しない、ということです。

化学物質過敏症の患者は、毒性の異なる化学物質に対しても同じ症状を呈する。つまり症状は人それぞれで時によっても違う場合があるけれど、暴露する化学物質の特性によって違いが出る訳ではない(しかも暴露量と重症度が一致しない)ということです。

これでは中毒学の概念で化学物質過敏症を理解することが出来ません(とは言えやっぱり今でも、中毒学の概念から化学物質過敏症を解釈する医師や研究者もいるようです)。なので病因を化学物質に限らない疾病概念もあって、これがIEIとなります。

さて上に「中毒やアレルギーといった概念では説明がつかない患者が多数いる」という現状を述べました。これこそ正に「化学物質過敏症という疾病概念じたいが確定しない」理由だと僕は考えます。
患者の症状や病因と考えられるものが、多種多様すぎるのです。
化学物質過敏症には、確たる治療法が存在しない」と言われますが、それも当然のことで、病気自体の正体が分からないのに治療法が確定してる訳がないのです(と言うか治療法が分かれば、逆算して病気の正体も理解しやすいでしょう)。

だからこそ化学物質過敏症を「一つの病名ではなく、あくまでも症状である」とする仮定が有効だというのが僕の考えです。

さてでは、船越典子医師による「(症状としての)化学物質過敏症の、原因疾患」と「治療法」について見てみます。

①神経障害性疼痛→ガバペンチノイド
②慢性上咽頭炎→上咽頭擦過治療(塩化亜鉛)
③栄養欠乏→ビタミンD・亜鉛・鉄製剤
④精神疾患→精神科疾患の治療

これらは船越・平両医師の臨床経験から導かれたもの(上記noteのスライド参照)で、治療法については④精神疾患についてだけ曖昧ですが、船越医師は(平医師も)精神科の医師ではないので、不確かな記述を避けたのでしょう。あとで説明しますが、精神薬を服用するだけが精神科・心療内科の治療じゃないですからね。

これら「原因疾患」を治療することによって、症状としての「化学物質過敏症」が改善する、というのが船越医師の主張です。

ただこう言うとこう反論されることが容易に予想できます。
「すべての化学物質過敏症がそれで治るのか?」です。
なんでやる前から「全て」だなんて無茶を言うのか分かりませんが、しかしきっとこの反論はあるでしょう。僕としては「試してみれば分かるんでは」とは思いますが、簡単なことではないだろうとも思います。
「あらゆる化学物質が発症原因になり得る」という考えからは、薬物治療そのものを拒絶する患者が少なくないだろうと予想されるからです。

けれどだからこそ「化学物質過敏症」と「診断」される前の「鑑別診断」が重要になる。
これが船越医師の主張するところだと思うのですが、しかし「他の疾患が除外されていること(除外診断=鑑別診断)」というのは、そもそも化学物質過敏症診断基準を適用するための前提であった筈です。
何故なら化学物質過敏症の診断基準というものは、それだけでは非常に曖昧なものだからです。(註1)

見ての通りA主症状B副症状ともにかなり一般的なものであり、 Cの検査についても、他の疾患では反応しないというものではない。唯一これはと思える「誘発試験の陽性反応」ですが、病状悪化につながるということで、今では行われなくなったそうです。

それ故「まず他の疾患を除外」することは、非常に重要である筈なのです。
なのにこれを一部(或いは多数)の診断医が理解しないか怠っている現状がある、というのが「採血や画像診断などの多角的な検査もなく、化学物質過敏症と診断される」という記事での批判になるんでしょうね。

「化学物質過敏症はあくまで症状である」という船越医師の主張自体は受け入れ難いとしても、彼女があげた「原因疾患」は「鑑別診断の候補」となる、そう捉えることは間違いじゃないだろうと僕は考えるのです。繰り返せば、船越医師の主張は「仮定として有効」だというのが、僕の考えです。

じゃあ仮定としての「化学物質過敏症は一つの病名ではなく、あくまでも症状である」ってなんだ? 
こういうことです。

船越医師の定義は、現在一般的なCullen定義「過去に大量の化学物質に一度に曝露された後、または長期間慢性的に化学物質の暴露を受けた後、非常に微量の化学物質に再接触した後に見られる不快な臨床症状」から、前段部分を切り離したものだと言えます。

すなわち①発症機序(過去に大量の化学物質に一度に曝露された後、または長期間慢性的に化学物質の暴露を受けた後)と②症状(非常に微量の化学物質に再接触した後に見られる不快な臨床症状)を、いったん分けて考える、ということです。

その上で、別の疾患(例えば神経障害性疼痛)として②症状が治療されるならば、その患者は①発症機序によって定義される「化学物質過敏症(Cullen定義)」ではなかった、ということになります。

当の患者にとっては、良いことですよね。ただそれで治療できなかった人は? そもそも他の「原因疾患」と診断できない人はどうなるの? まとめて「精神疾患」か? 
そうではなく、ここに「仮定」が生きてきます。他の疾患とは診断できず、化学物質(或いは環境因子)が病因であると考えられるもの、それこそが「化学物質過敏症(或いはIEI)」であると(仮に)診断できるのです。

これが船越医師による定義を「仮定」と捉えることの、「化学物質過敏症」にとっての利点です。
つまり「患者が限定される」ということです。

上に書いたように「患者の症状や病因と考えられるものが、多種多様すぎる」ことが化学物質過敏症の研究を袋小路に追い込んでいる大きな原因です。

ここから船越医師が示した鑑別すべき疾患(今後もそれは増えると思います)を除外することで、「化学物質過敏症」の患者は減る。すると「化学物質過敏症の症状・患者像」が限定されてくる。すなわち化学物質過敏症の「輪郭をはっきりさせる」ことに繋がるだろうと考えられるのです。

……と、こと新しげに言っておりますが、全然普通の考え方ですね。
と言うか、こうした普通に考えられる研究・治療の進め方に対して拒絶反応があることこそ化学物質過敏症の問題なんじゃないでしょうか。

yahooニュースに転載されてるこの記事を見ると、結構な数の批判(非難)が寄せられています。

香害・化学物質過敏症の闇、医師が「不治の病ではない」と訴えるワケ…「80%は精神疾患との合併症」の報告も(ダイヤモンド・オンライン) - Yahoo!ニュース
 柔軟剤や制汗剤などに含まれる香料が原因で、頭痛や目まい、吐き気などの体調不良を訴える「化学物質過敏症」に苦しむ人が増えてきているといわれる。「香害」という言葉とともに語られることが多い症状で、患者

おかしなのは「精神疾患の合併率が80%というのは言い過ぎ、デタラメ」とのコメントが多いことです。

精神疾患の合併率が80%」というのは、ライター小倉健一氏の主張でも船越医師の主張でもありません。さらに言えば、坂部貢医師の主張でもない。
そういうデータが出ていて、このデータを元に坂部医師が環境省の調査報告書にそう書いている、という引用です。
https://www.env.go.jp/content/900406393.pdf

例えば逆に質問してみましょう。「言い過ぎ・デタラメ」とコメントする者に「化学物質過敏症と精神疾患の合併率は何%なんだ?」と。彼らはなんと答えてくれるでしょうか。

実を言うと「精神疾患の合併率が80%」というのは、割と中庸な数字です。研究によっては87%も89%もあります。
カナダには21,977人を対象にした調査があり、ここでは400人のMCS患者のうちMDD(大うつ病性障害)との合併率が85%、GAD(全般不安症)が78%です。ドイツでI E I患者264人を調査した結果では75%(この研究では264人のうち化学物質が病因と考えられるのは5人のみ、とも言ってます)。
日本での調査は(僕の知る限りですが)それぞれ十数名〜数十名程度の患者が対象で、また調査ごとに精神疾患とするスクリーニングの基準が違ったりします。なので上質なメタアナリシスがないと、これが正しいって数字は出て来ません。

そんな訳で厚労省の『相談マニュアル』には「42〜100%」というかな〜り大ざっぱな数字が載せられているのです(書き方から察するに、集めたデータの最低値が42%最高値が100%だったんでしょう。つまり「100%」という調査もあるみたいですね)。

仮にこの間をとって70%だとしても、十分に高い数字です。がん患者の適応障害合併率が10〜30%うつ病合併率が5〜10%と言われるのに比べてみれば分かります(ここで30と10を足して40%!とか言っちゃダメですよ。上のMDD85%GAD78%を足せばどうなるか、分かりますよね)。
他に参考となる数値としては、慢性身体疾患を抱えた人が精神疾患に罹る生涯有病率は42%、というのがあります。

このなかで「80%」は、不当に高い数字を採用したとは言えず、「環境省調査報告」という分かりやすい概要に載せられた数字ということで、むしろ穏当なものと言えます。僕自身この坂部医師による報告を、分かりやすい概要として別の記事に載せてますから。

ただ、「化学物質過敏症は精神疾患との合併率が高い」と言われて怒る気持ちは分かります。「化学物質過敏症なんて存在しない。気のせいだ、精神疾患だ」と言われることも多いですからね。

他人の狭い了見で(きちんと知ろうとしない者の常識で)自分が測られるのは、いい気分の筈がありません。それはゲイでもオタクでも化学物質過敏症患者でも、喫煙者でも同じでしょう。そんな訳で化学物質過敏症について精神疾患との関わりを言うときには「罹患による心理的社会的ストレスが精神疾患を発症させる」とか説明されたりするのです。

ただしこの説明は、個々の患者については説明できるように思えますが、合併率が80%前後ということになると話が違います。「心理的社会的ストレスがある」ことがすなわち精神疾患とはならないからです(がん患者の場合の合併率で理解できると思います)。それなのに70や80%もの合併率があるとなると、両者の相関関係は否定しづらいでしょう。

実際にA「化学物質過敏症になったから精神疾患を患った」かB「精神疾患から化学物質過敏症だと自訴するようになる」かには両論あります。

ただ同じテーマで相反する結論を出した調査を見比べてみると、実のところ「結果(検証データ)」自体にはそれほど違いがなく、「考察(論文での結論部分)」に書かれた各研究者の思考に違いがあるとしか、僕には読めませんでした。

「限定されたケースで精神疾患の発症が化学物質過敏症の発症に先立つ可能性はあるとしても(中略)化学物質の暴露と同時に大きな心理的ストレスが加わった時に発症することが多いと考えられた」
辻内優子他2002年(ここでの合併率は83%)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpm/42/3/42_KJ00002380051/_pdf/-char/ja

「発症経過において、発症に先立つ心理負荷またはSHS(シックハウス症候群)などの症状レベルの既往者に心理負荷が加わることによる発症が多数を占めることが示された」
平田衛,吉田辰夫 2015年(精神疾患としてのスクリーニングなし)
http://www.jsomt.jp/journal/pdf/063020109.pdf

そもそも化学物質過敏症・精神疾患ともに、患者の主観抜きには診断できず、純客観的には区別できない場合が多いので、「考察=研究者の思考」に左右される部分が大きいということだと思います。(註

ただここでAの立場をとる坪内他の考察でも「精神疾患の発症が先立つ、限定されたケース」があることは否定していない。結局は、船越医師と同じことを言ってるのです。(註3)

そもそも「心因性機序」が化学物質過敏症の議論に根強く残っているのは、化学物質過敏症の症状と化学物質の間にある因果関係が解明されていないこと(故に世界保健機構の国際化学安全プログラムではIEIを採用している)と、その症状の多くが不安障害や身体表現性障害、PTSDなどで説明できてしまうからです。

なので少なくとも「化学物質過敏症と自訴する者の一部に精神疾患がある」と主張するだけの船越医師がそれほど責められる謂れはないと、僕には思えます。
ましてや精神科を勧めることにおいては、です。

化学物質過敏症に関わる医師や研究者の多数が精神科や心療内科を勧めています。上の平田論文はもちろん、坪内論文もその結語は「心身両面からのアプローチおよびケアが必要であると考えられた」となっています。
DIAMOND記事に引用されてる通り、坂部貢医師は「心身医学・精神医学的アプローチも有効である」と明確に書いているし、別のところでは「認知行動療法」を勧めています。
また上記厚労省のマニュアルが、化学物質過敏症の治療についてまず勧めているのは、化学物質からの避難や制限ではなく「マインドフルネス認知療法」だったりするのです。
https://www.shabon.com/shop/post/mrsakabe_2
https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11130500-Shokuhinanzenbu/0000155147.pdf

ところで坂部貢医師は、別の記事でこんな素晴らしいことを言っています。

それが原因かどうかは別としても、化学物質の影響を受けることに対して非常に強い不安を持っていらっしゃるので、日常生活のレベルでは、死ぬようなもの、中毒を起こすようなレベルではないですよと、安心させてあげることです。
https://www.kyorin-pharm.co.jp/prodinfo/useful/doctorsalon/upload_docs/160760-1-28.pdf

この言葉がなんでだか、当の患者さんたちに伝わっていないように思えるのが残念なところです。

正直いうと僕自身が抗精神病薬には警戒感を持ってるタイプなので、他人ごとながら投薬治療よりカウンセリングや認知行動療法を優先して欲しいとか思ってしまいます。(註4)

認知行動療法は、「条件づけ」等に係る行動療法と、「認知の歪み」に係る認知療法を組み合わせた心理療法です。そして「認知の歪み」自体は多くの人に見られるもので、それ自体が精神疾患というのではありません。
だから僕としては、化学物質過敏症だと思い込むことだけで、すなわち精神疾患だと考える必要はないと思います。誰にでもある認知の歪みが、自分にはその人には、こういう形で現れた、と考えてもいい。
上の坂部医師の言葉などは、言葉による認知行動療法だと言えるんじゃないでしょうか。
ただ僕は坂部先生ほど優しくはないので、化学物質過敏症に係る認知(感じ方)の問題について、いっこ指摘しておきます。

最近の研究では化学物質過敏症の症状有訴者(註5)のうち、臭気が契機となったものが約70%を占めるとされ、化学物質過敏症の発症契機としてもっとも多く申告されるのが、洗剤や柔軟剤などの「匂い」となっています。
https://mhlw-grants.niph.go.jp/system/files/report_pdf/202211048A-buntan8.pdf
しかしよく言われる「化学物質過敏症の患者はごく微量の化学物質も匂いで感知する」つまり常人より嗅覚が鋭いということには、未だに確かなエビデンスがありません。
二重盲検法や単盲検法による検証はいくつかあれど、有意な結果を得られたものがない。

微妙な言い方ですが、化学物質過敏症患者に「嗅覚過敏がある」としても「嗅覚閾値が常人より低い」わけではない、というのがこれまでの研究結果。
より忖度のない表現で言うと「化学物質過敏症患者の吸気感受性の亢進は、過敏症ではなく過剰反応」となります。

Multiple Chemical Sensitivity
Multiple Chemical Sensitivity (MCS), a condition also known as Chemical Sensitivity (CS), Chemical Intolerance (CI), Idiopathic Environmental Illness (IEI) and ...

つまり嗅覚閾値(どれだけ微量の匂いを感じ取れるか)あるいは匂いの識別については、化学物質過敏症患者と常人の間に差はない。違いがあるのは、不快な臭気を感じた時の反応(情動反応)の強さであるということです。

これは嗅覚を司る脳の各部位の活性(賦活)化を調べることで明らかにされたところで、大脳辺縁系や前頭前野、海馬に対照群(化学物質過敏症じゃない人)より強い賦活が見られる、というのがその説明になります。

一般に人が匂いを知覚するのに、脳ではボトムアップ処理とトップダウン処理が行われている、と言います。

感覚器から臭気刺激の情報が脳に伝えられるのがボトムアップ処理、脳が匂いに注意を向け、またここで記憶や期待、感情の情報が混ざって匂いを判断するのがトップダウン処理です。

化学物質過敏症患者が「不快な臭い」を感じる時には、このトップダウン処理が活性化している、というのが多くの実験結果が示すところだということなのです。
逆にボトムアップ処理を見ると、対照群と同じか、場合によっては弱い、とされています。

ざっくり言えば、化学物質過敏症患者が「悪臭を感じる」のには、匂いそのものだけでなく記憶や期待(不安)が影響しているということです。この極端な形が「幻臭」ですが、しかし幻臭だって必ずしも精神疾患によるものと考える必要はない、という研究があります。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/pacjpa/77/0/77_3PM-042/_pdf
この実験はわりと簡単な条件づけによって、健常な成人に幻臭を起こさせ得ることを示しました。幻臭や嗅覚異常に条件づけが関わるならば、これも認知行動療法による治療が期待できると考えられます。

さてしかし、臭気が原因となった症状有訴者が約70%だということは逆に、約30%は臭気(匂い)以外の原因で発症したことになります。つまりここでも「すべての患者(症状有訴者)」に上の話が適用される訳じゃありません。

船越典子医師の説と同じです。化学物質過敏症の知見というのは、今のところ仮説とその検証(あんまり有意じゃない)しかありません。なんなら「化学物質過敏症」が本当にあるのか、それがどんなものなのかすら、今も確かなエビデンスに支えられていない。
このなかで「化学物質過敏症は一つの病名ではなく、症状(症状群)である」というのは、仮説と言うよりむしろ、これまでの研究成果に対する正しい分析だとも言えます。

けれどこれをあえて「仮説」と見做すことで、他方の化学物質過敏症を「ひとつの疾患概念」とする考え方も「仮説」として生き延びる、というのが僕のお話です。

その一方で、仮説や推論とかじゃない事実というものもある。
船越医師が化学物質過敏症と信じた症状に苦しんで、平医師の方法によって治癒したという、DIAMOND記事はその事実の告白でもあります。
僕や誰かがどう言おうと、船越医師や平医師は、化学物質過敏症を訴える人たちを診察し治療し続けるのでしょうし、その過程でまたその臨床研究から、新たな治療法が生まれてもくるでしょう。

これを「不確かだ」「デタラメだ」と言って感情的に潰そうとするのは、「化学物質過敏症」の将来にとって良くないだろうと僕は思うのです。





(註1)ここに挙げた診断基準は、石川哲が作成した日本独自のもの。
他に「1999年合意基準」と呼ばれる国際的な基準もありますが、医療機関のHPなど調べた結果日本で実用的に採用されてるのはこっちが多い印象があって、これにしました。
下から引用しています。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjh/73/1/73_1/_pdf
と言いますか、「1999年合意基準」にしても1987年のCullen診断基準にしても言ってることは正論ですが、実際にこれで診断しようと思ったら、たいへん過ぎます。
これらの基準に挙げられた条項を客観的に証明するなら何回もの誘発試験が必要になるでしょうし、誘発試験が出来ないなら自己申告に頼るしかない。そうすると診断基準としての意味があるのか?となってしまいます。
そんな訳で現実的な落としどころとして石川基準を本文では採用したのですが、現実的なとこに落とし込むと今度は「化学物質過敏症……?」というよく分からない診断基準になってしまう。
ということで、本文の内容となります。
各種診断基準については、下でまとめて読むことができます。https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjh/73/1/73_1/_pdf

(註ただしスウェーデンには、I E Iがストレス障害である(ストレスが先行)とする5年間の追跡調査(前向き研究)があります。https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0022399909005066?via%3Dihub
本文にあげた後ろ向き研究と比べ、前向き研究の方が信頼性は高い。ただここに言う先行したストレスは(当然ながら)精神疾患レベルのものではありません。この点は平田・吉田研究も同じです。

(註3)化学物質過敏症(Cullen型)に肯定的で熱心な研究者でも、実は精神疾患についての捉え方は似たようなもんだったりします。ある学者は厚労省の研究報告にこう書いています。
「研究参加のうち精神疾患の合併率は21%であり、昨年度までの研究に参加した患者の精神疾患合併率(83%)より明らかに低率となった。これはある程度症状の安定した慢性期の患者を研究対象にしたこと、化学物質暴露歴のはっきりしない患者を除外したことが影響していると考えられる」

解説します。

もしこの学者が「化学物質過敏症患者は、罹患(化学物質暴露)によるストレスから精神疾患を発症する」と考えてるなら、「暴露歴のはっきりした患者の方が精神疾患合併率が高い」と考える筈です。
けれどこの文では「暴露歴のはっきりしない患者を除外すると、精神疾患合併率が明らかに下がる」と、それが当然であるように言っている。加えて、合併率21%という数字は(83%と比べて)例外的なものである、と言っている訳です。

(註4)向精神薬云々以前に、煙福亭はそもそも医者が嫌いだし薬も飲みたくない。とは言え精神薬だって、飲まなきゃ苦痛に耐えられないという状態はあるだろうと思っています。僕自身、辛いと頭痛薬を飲むし蕁麻疹の薬を塗りたくったりもする。だけどやっぱり医者には、ギリギリまでかかりたくないって思うんだよ。
それがなんだと言うとつまり、こういう人間が書いてる文章だということです。

(註5)「契機の70%が匂い」という結果を記した報告書に、調査対象が「患者」ではなく「CS症状有訴者」と書いてあったので、そのまま写しました。
前年までの研究から察するに(3年間の研究における最終年度の報告書なので)、「症状有訴者」とは「診断の有無に関わらず、初診者すべて」であることを示す用語なんだと思います。
https://mhlw-grants.niph.go.jp/system/files/report_pdf/202211048A-buntan8.pdf
研究全体
https://mhlw-grants.niph.go.jp/search?kywd=%E5%8C%96%E5%AD%A6%E7%89%A9%E8%B3%AA%E9%81%8E%E6%95%8F%E7%97%87&title=&search_api_fulltext_2=&co_researcher=%E5%9D%82%E9%83%A8%E8%B2%A2&years=&report_no=&summary=&finance=&policy=&institute=&search_api_fulltext_9=&field=&sort_by=year_1&sort_order=DESC&items_per_page=20



精神疾患合併率の資料

83%
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjpm/42/3/42_KJ00002380051/_pdf/-char/ja
89%
http://gakui.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/data/h13data/117360/117360a.pdf
87%
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jappm/46/2/46_33/_pdf/-char/ja
MDD 85%GAD78%(カナダ)
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0022399917301770?via%3Dihub
75%(ドイツ)
https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/12455937/

42〜100%
『科学的根拠に基づくシックハウス症候群に関する相談マニュアル』厚労省
化学物質過敏症(50p~)本態性環境不耐症(203p~)
https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11130500-Shokuhinanzenbu/0000155147.pdf
https://mhlw-grants.niph.go.jp/project/25734

慢性身体疾患を抱えた人が精神疾患に罹る生涯有病率=42%
https://www.jstage.jst.go.jp/article/manms/4/4/4_4_175/_pdf
ここで論者は「包括医療が叫ばれる中で、精神疾患合併の影響を無視するのはナンセンスである」と書いてます。化学物質過敏症患者は「自分が偏見に晒されている」と考えてるだろうと思いますが、精神疾患も同じように偏見に晒されているという現状があって、なんか救いのないお話です。

化学物質過敏症と嗅覚についての資料

https://mhlw-grants.niph.go.jp/system/files/2005/058071/200501212A/200501212A0005.pdf
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jappm/46/2/46_33/_pdf/-char/ja
https://www.kyorin-pharm.co.jp/prodinfo/useful/doctorsalon/upload_docs/160760-1-28.pdf
https://www.jstage.jst.go.jp/article/tjem/198/3/198_3_163/_pdf/-char/ja
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC6871299/
https://www.a.u-tokyo.ac.jp/topics/topics_20220519-1.html
https://www.a.u-tokyo.ac.jp/topics/topics_20190322-1.html
https://mhlw-grants.niph.go.jp/system/files/report_pdf/202211048A-buntan8.pdf

化学物質過敏症についての(わりと包括的な)解説

坂田貢2016

https://www.env.go.jp/content/900406393.pdf

加藤貴彦 2018

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjh/73/1/73_1/_pdf

公害等調整委員会 2008

https://www.soumu.go.jp/main_content/000142629.pdf

古川俊治2023

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jappm/46/2/46_33/_pdf/-char/ja

海外論文 2022

Multiple Chemical Sensitivity
Multiple Chemical Sensitivity (MCS), a condition also known as Chemical Sensitivity (CS), Chemical Intolerance (CI), Idiopathic Environmental Illness (IEI) and ...

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