疫学、の話のつづき

喫煙率が下がっているのに肺がんが増えているのは、なぜ?
『喫煙率は減っているのに、肺がんが増えているのは、タバコと肺がんが関係ないからだ。』 このような理屈が、アンチ禁煙の立場の方によって、ネットや書籍によく紹介されています。全くの間違いです。以下で説明します。

 「疫学」の(注3)でリンクさせた禁煙センセイの主張「肺がん年齢調整死亡率の推移をみれば、肺がんによる死亡が喫煙率の低下に伴い減少していると言える」については、実はもう一つ簡単な事実を指摘したかったのです。まずはこの記事で示されたグラフともう一つ、2015年・国立がん研究センターの報告にあったグラフをご覧ください。

https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-10904750-Kenkoukyoku-Gantaisakukenkouzoushinka/0000088574.pdf

 最後のグラフによると、1995→2005年の死亡率減少と2005→2015年のそれとを比べれば、後の10年においては「減少が鈍化」していることが示されています。(*但し実データは2013までのものであり、これ以降は予測データです)
 しかも年齢調整死亡率のピークは1996年であって、仮にこの数値を1年ずつ遅らせて取った場合、「鈍化」具合はさらに大きくなるでしょう。
 おかしくないですか?

 禁煙センセイはあの記事で「タバコ病の流行モデル=喫煙率ピークの30年後に死亡率のピークがくる」が、年齢調整死亡率の調査により証明されたと言うのですが、その喫煙率のピーク(1966)のおよそ10年後から喫煙率は加速度的に低下しているのに、これに対応する時期の年齢調整死亡率の減少はむしろ鈍化しており、将来的にはその減少幅がより小さくなると予想されているのです。「タバコの流行モデル」を真とするなら2005→2015年の死亡率は1975→1985年の喫煙率に対応している筈です。これとその前の10年間と、喫煙率減少を比べてみてください。減少幅に歴然と違いがあることが分かります。
 禁煙センセイの説に従うならば、喫煙率の減少と肺がん年齢調整死亡率の減少には相関関係があって然るべきですが、センセイの提示した資料を4年先に伸ばすだけで、この相関関係は崩れてしまうのです。

 さて実は、先に言った「簡単な事実」はこれではありません。もっと単純な観察です。禁煙センセイの記事から頂戴した上の2つのグラフをもう一回見てください。肺がん「死亡数」の急激な増加と、「年齢調整死亡率」のやや緩慢な低下、これを比べて分かる簡単な事実とは、やっぱ肺がんって老いが進むほど罹りやすく死に易いもんなんだ、です。
 そしてどうもこの老化ってものが肺がんに持つ影響はかなり大きいものだということが2つのグラフを比べてみると分かります。つまり、僕の考えでは「肺がんの第一の原因は老化」です(僕は「全てのガン」とは言いません。乳がんや子宮頸がんなどは若年層にも多いですから)
 まったく目新しい説じゃあありません。肺がんは高齢者であるほど罹り易いなんてことは、ガンを治療・研究する人なら誰でも言っていることです。ただ禁煙医師だけがこのことを無視(あるいは軽視)して「肺がんは喫煙が第一の原因」なんていう明からさまな嘘をついているのです。

 誰だって「自分が歳を取ったら肺がんになる可能性が高い」なんて思いたくありません。そういう口には出さない恐れの気持ちにつけ込んで、「タバコを吸わなければ肺がんにならない」と思わせる『喫煙が第一の原因』は、科学的発言ではなくプロパガンダのそれだってことです。

 まあ僕はあんまり科学的な人間ではなく一般常識的な人間なので、タバコがカラダに良いなんてことは考えていません。煙をわざわざ口に入れるんだから、何らかの害があって不思議じゃない。けれどそれを「医学的・科学的に証明」することは簡単じゃない。それはタバコと肺がんに関する80年の研究史が雄弁に物語っています。しかも「受動喫煙」にまで至っては。

 幸い受動喫煙のエビデンスについては、嫌煙家である依田高典センセイが「専門家として」「(受動喫煙の)メタアナリシスが用いている個々の研究は全般的に古く」「コホート・症例研究はそもそも内的妥当性が確保されるとは限らない」「コホートや症例研究を統合してもエビデンスは低いまま」とされておられるので、ここは信じておきたいと思います。ありがとう依田センセイ。
 まあしかし一般常識人としては、いかに高名な先生の言うことでも頭から信じるわけにもいきません。そこで一般常識をフル稼働させて考えてみるに、今現在の、禁煙運動が発達したこの国においては、改正健康増進法や受動喫煙防止条例が施行される前ですら、受動喫煙の健康に対する危険は相当低いと考えざるを得ません。ただでさえ揮発拡散するタバコの有害成分に、ここまで遭遇する機会が減っていれば、あとは個人的な関係性の問題でしょう。会食者が一斉にタバコを吸い出したら、あるいは家族が狭い部屋で何本も続けて吸うんなら、注意するか席を外すことです。今となってはその行為を間違ったものだってする人はかなり少ないでしょう。

 僕は禁煙運動が一般常識になったと感じた1990年ごろからタバコを吸い始めました。僕にとってタバコを吸うことは、マイノリティーとして生きる実験みたいなもんです。
 申し訳ないことに僕は五体満足で、恥ずかしながら性的にまったくのストレート、この国では差別されるような人種でも階級でもない(いや低収入ってことはあるか)。それなのに喫煙者ということで差別的にみられることがあるのを、むしろ望んでいる部分がある。ローランド・カークと同じ「志願奴隷 Volunteered Slavery」、ちょっとアホな人間です。そしてアフリカン・アメリカンが虐げられたままではいなかったように、プロテスタントが今でも生き残っているように、僕もただ差別され、殺されるつもりはない。

忌野清志郎は、ジャズは聴かないけどローランド・カークは好き、だったそうです。そんな言葉を納得させる「ジャズ好きじゃなくても好きになる演奏」の一番がこのアルバムに入ってる「I Say a Little Player」でしょう。前年に暗殺されたキング牧師のために「小さな祈りを捧げよう」と語り、カウントした直後から怒涛のように音楽が溢れる。「カーク最高」と言うしかないレコードです。

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